麦茶の歴史
Q 麦茶の原料となる大麦は、いつごろ日本に来たんですか。
A 大麦と人類のかかわりは大変古く、今からおよそ1万3千年前に、イラン、イラク、チグリスユーフラテス、インダス川流域の古代文明発祥地で、栽培されていたことが知られています。日本には、縄文期の末期、今から2500年ほど前に、栽培植物として伝播し、広く全国にひろがったと考えられています。

麦湯店イラスト Q
日本で大麦が麦茶として飲まれるようになったのは、
いつごろからですか。
A 大麦は、紀元前2~3世紀に日本に伝わってきたといわれています。
大麦は、古くから人の食料として用いられていますが、生穀粒のままでは食べられないため、麦を炒って水に浸けて食べていました。また、ごく自然に炒り麦のつけ水を飲んでいました。したがって、炒り麦を湯で煮だして飲む風習は、原始農耕の始まった頃からあったと考えられます。
日本の歴史上の記述は、平安期初期(10世紀初め頃)に編集された日本最初の百科事典ともいうべき「和妙類聚抄」の中に、「米麦を乾かし、これを炒って粉にし、湯水に点じて服す。」との記述があり、現在の麦茶とは違いますが、煎った麦の香ばしさを楽しむ飲み物、という点では麦茶の原型があったと言えるのではないでしょうか。
その後、麦茶が歴史上に登場するのは、1517年(天正15年)豊臣秀吉が京都の北野天満宮で大茶会を催した時の様子を記した「北野大茶湯の記」によれば、秀吉が建てた高札7ヶ条のお布令の1条に、「茶湯執心においては、また若党、町人、百姓以下によらず、釜一つ、釣瓶一つ、呑物一つ、茶なきものは、こがしにても苦しからず候間、堤げ来たり仕るべく候事」とあり、庶民の間では、「麦こがし」が、お茶がわりに飲まれていたことがうかがわれます。
江戸時代に入ると、1,697年(元禄10年)に出版された本朝食鑑には、「当今、生麦を香ばしく炒り、麨(むぎこがし)を磨き、篩にかけて粉末にし、夏月、冷水を飲むとき、これを加えて練って服用している。砂糖を和して食べることもある」と記しています。
また、寛政~天保(1789~1844年)の世態の推移を書きとどめた寛天見聞記には、「夏の夕方より、町ごとに麦湯という行燈を出し、往来へ腰かけの涼台を並べ、茶店を出すあり、これも、近来の事にて昔はなかりし事なり」とあり、江戸末期には、麦茶を「麦湯と称して現代風に茶店で飲まれる」ほど、すっかり庶民に定着するようになっています。